織田信長公遺品 「焼け兜」
織田信長の次男・信(のぶ)雄(かつ)が本能寺の変の直後、焼け跡を捜索させて探し当てた兜である。装飾品はすべて焼け落ち、突盔(とっぱい)型の鉢と脇立の角本、黒漆が僅かに残るのみである。
信雄はこれを信長公所用の兜と確証し手許に留めるも、清須城を追われる際に岐阜城主の織田秀信に贈ったという。その後天明五年(1785)丹波国柏原城主、織田家の家老生駒主水方綱・津田内蔵助頼利、両名の署名押印のある由緒箱書きを添え、「信長公御召御甲」として菩提寺である總見院に献納されたものである。
徳川光友公書 「興聖山」扁額
興聖山總見院という山号寺名は徳川義直公自らが選び、当時少年の嫡子光友に山号を手書きせしめ、その扁額と共に総見院に贈ったものである
円空仏 二躯
(←左)毘沙門天像 像高60cm
聖観音菩薩像 像高113.5cm(右→)