興聖山總見院由緒

外観

沿革

外観興聖山総見院は臨済宗妙心寺派の末寺である。

織田信雄(のぶかつ)が父・信長を弔うために伊勢国桑名郡の安国寺を引き取り、忠嶽和尚を開山に迎え天正十一年(1583)に現在の地に「景陽山総見寺」を建立した。しかし、慶長十五年(1610)「清須越し」によって名古屋大須に移る。

名古屋総見寺の三代住職閩山永吃(みんざんえいきつ)和尚は、尾張初代藩主・徳川義直公と亀姫(徳川家康公長女)の御両人から並々ならぬ帰依を受け、義直公自らが開基大檀那となって正保元年(1644)「興聖山總見院」を現在の地に創建し、閩山和尚を開山に迎え、信長公の菩提を弔うよう命じたのが始まりである。

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織田信長公

總見院殿贈大相國一品泰巖大居士
織田信長公尊像
織田信長公